日本教育では学べない失敗の定義

 

私は数々の失敗をしていますが、
私は失敗するということは、
それを試みるほどあなたが
バカだ、という意味ではないと認識しています。

 

何がうまくいって何がうまく
いかないかを探しためしてみるほど
勇敢である、という意味である。

 

と認識しています。

 

 

日本の教育課程では、
出された問題に対して
間違えるとバツをもらう。

 

 

 

マルをもらう子が褒められ、
ケアレスミスをすると恥をかかされる。

 

 

 

このような経験がある方も
多いのではないでしょうか。

 

 

 

世間ではそしてビジネスの世界ではどうでしょう。

子供の頃よりこのような経験を何度も繰り返してしまう。

 

 

 

社会に出る、あるいは起業しても、
同様の経験が増えるばかり。

 

 

 

そして「失敗してはいけない」
「失敗は恐ろしいモノ」
「失敗は恥」だと想い込む
ようになってしまう。

 

 

 

このような環境・状況が
日常の常態(当たり前)であれば
誰であっても”負の想いこみ”に
やられてしまうでしょう。

 

 

 

しかし、失敗というのは、
本当にそのような「意味」なのでしょうか。

 

 

 

失敗という常識的な意味を
新しいモノの見方・捉え方へ置き換え、

私は以下のように定義しています。

 

 

 

「失敗とは」諦めた時に起こる
現象に過ぎない。

 

 

 

失敗は、あなたが勇敢であるということを示すものであり、
他の人が挑戦しないことにあえて挑戦した証でもあります。

 

 

 

何より、失敗を価値に変える
ことを意識するだけで、次は同じ失敗をしなくなる。

 

 

 

この繰り返しの先には、
明るい成果しかないことに気づけるわけです。

 

 

 

私はカウアイ島に来て
「分からない事を後手にまわしてしまう癖」

を失敗から見つけました。

 

 

 

そして、今回分からないなりにも勇気を持って前もって
動く事で、リーダーシップの基礎を知る事が出来ました。

 

 

失敗したままで終わらせない。
カウアイ島で身を以て体験しました。

「価値ある失敗を繰り返せ」

 

 是非チャレンジをしてみてください。

 

 

「 失敗なんて、ただのカスリキズ!!」