起業家人生、危機に直面した時に何をするのか?

 

2003年、富士写真フイルム本社は、
主力製品の写真フィルムの需要が
急速に冷え込む中、同年、 社長兼CEOに就任した
古森重隆・現会長は社員に訴えていました。

 

 

そのわずか3年前まで、
写真フィルムは成長を続ける
大黒柱でした。

 

ピークに達した2000年度の
売上高は2600億円超と、
全社の売上高の約2割を占めていました。

 

これに加えて、
撮影したフィルムを現像して
プリントするための印画紙も
当時の稼ぎ頭でした。

 

写真フィルムを売り、
さらに印画紙を売って稼ぐ。

 

 

この“1粒で2度おいしい”
ビジネスモデルにより、
写真関連事業は営業利益の約6割を
たたき出すドル箱でした。

 

そこに襲いかかってきたのが
デジタル化の波です。

 

デジタルカメラの普及に伴い、
写真フィルムの売上高は
毎年200億円
減ペースと、

「坂道を転げ落ちるように」
急減していく。

 

 

11年度の売上高に占める割合は
1%を下回り、ピーク時と比べ
約2500億円が吹っ飛びました。

 

写真フィルムが市場から消える中、
富士フイルムホールディングスが
かつて「追い付け、追い越せ」と

 

目標にしてきた約130年の歴史を持つ
米大手、イーストマン・コダックは
12年1月に経営破綻しました。

 

富士フイルムとコダックの明暗を
分けたのは何だったのでしょうか。

 

医薬品や化粧品など、
事業の多角化に踏み切った
富士フイルムが生き残りに
成功したのはなぜなのか。

 

 

中嶋成博社長がその答えとして
挙げたのは、危機に瀕した
富士フイルムが約2年がかりで
取り組んだ

 

 

「技術の棚卸しでした。」

 

この危機から富士フィルムは写真を
きれいに写す技術である
「ナノテクノロジー」と「乳化」の
技術に
フォーカスし、

 

その技術を化粧品開発に繋げて
アスタリフトを開発し、

急成長を実現しました。

 

 

当時の富士フィルムはそれほどの
危機に直面していたそうです。

 

しかし、自分の技術の棚卸しを
したことで、道が拓けました。

 

何かをやろうとやることを
新しく見つけるのではなく、

 

自分の持っているものを整理し、
ヒットさせるために
どうすれば
いいか?

を考えることが大事です。

 

 

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