あの日、3月11日という日

こんばんは
相葉です。

2011年3月11日
僕は銀座でファインダインという
新業態のテレビ撮影をしていました。
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地震が起こった直後、
私たちを撮影していたTV局は

私たちを置いて、
街の映像を撮りに行ってしまいました。

その前まで撮っていた映像は
永遠に放送されないでしょう。

それはさておき、
アルバイトと社員の全員の生存を確認し、

お店はクローズして全員に
帰宅の指示を出しました。

僕もお店の配達用のバイクを借りて
銀座から川崎まで帰ることにしましたが、

16時に銀座を出て
家に着いたのが深夜2時でした。

首都圏の交通は止まり、
麻痺している中、
バイクもすり抜けられないほど
道路に車がたくさん止まってました。

そして翌日になり
一斉にアルバイトが実家に帰るなどし
店舗は営業どころではなくなりました。

この時アルバイトは自分の命を
優先させて仕事を放棄しましたが、

部長である僕は仕事を休むことが
できませんでした。

 

この時に僕がやっている仕事は
人の命よりも大事なことなんだろうか?
と疑問が湧きました。

どんな仕事も自分の命以上に
大切な仕事などありません。

だけれども会社員は時として、
自分を犠牲にしても会社のために
働かなくてはならない。

僕は震災後、
この考えをおかしいと思うように
なりました。

不安な家族のそばにいたいのに
会社に行かないといけないという
現状を自分の手で変えなければならないと
決意したことを覚えています。

そこから僕は会社を辞めて
起業家になりました。

自分で自由に使える時間を
手にすることができました。

震災を通じて、
多くの日本人がいろんな人生を
歩んでいらっしゃると思います。

当時の僕が感じたことは、
他人に従い人生を左右されることを
やめようでした。

この考えが正しいかどうかは
わからないですが、

今思うとあそこで思い切った決断を
してくれた自分に感謝しています。

人生には数回転機があると思っています。

その転機にどう行った行動を取るかで
未来は変わります。

ぜひ被災された方のためにも
自分の納得のいく人生を歩んで欲しいと
思っています。